さて其翌朝阿那律と云弟子が阿難に云ことには、汝王舎城に入リ諸の末羅〈はたらき人のことか〉に仏の滅度を語て頼むがよいと云時に、阿難が泣泣城に入り諸の末羅どもの一所にをつたる処へ行た所が、夫らが云には、朝早くなにの用在て来たぞと云時に、阿難が云には、如来昨夜已に滅度せられたによるてきてくりやれと云。是らのいふに、どふしてそう急に死んだ事じやなどヽいひつヽ、これらがかヽりてとりしつらひ天冠寺と云寺へ持ち行き、火葬にせんとてたきヾに油をそヽぎなどして火をかけたる所が、いつかな燃つかんから阿那律が云には、是れは大迦葉が五百の弟子と遠くへ行ておるから、それを待ち、火がもへぬで有ふと云て、止させたでござる〈双巻経〉。これは彼ねじけ心のこりかたまつたる所より、彼様の験しもあつたらうでござる。隨分今の世にも執念深く思ひをとめた者にかやうのことが有者で、有そうなことでござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』84頁
これは、釈尊の火葬の様子を記した経典であれば、だいたいこのような様子だったことが分かると思う。ところで、阿那律〈アヌルッダ〉尊者が阿難尊者に依頼したこととして、まずは王舎城(マガダ国の首都、ラージャグリハ)に入リ、「末羅」に火葬への助力を求めるように、としており、更に篤胤は「末羅」を「はたらき人」だと推定している。
・・・?色々と疑問が出てくるな。
まず、末羅とは「マッラ国」の「マッラ族」のことで、マガダ国の北方に住んでいたとされる。そして、釈尊が入滅したクシナガラにも住んでおり、阿難尊者が火葬への助力を求めたのは、このクシナガラのマッラ族であった。更に、マッラ族は「クシャトリヤ」だったとされているので、「はたらき人」では無かったはずである。
つまり、篤胤はかなり適当に伝えている可能性もあるのだが、気になる割註に「双巻経」とある。これは、拙僧が理解している通りで良いのだろうか?一般的に、「双巻経」とは2巻本の『無量寿経』を指しているはずである。そこで、同経を参照してみたが、まぁ、普通に違うわけで、もう少し調べたところ、見えてきた。
そこで、篤胤が参照しているのは、ここでも『釈迦譜』であった。そして、釈尊の入滅、火葬を扱う巻4「釈迦双樹般涅槃記第二十七」を見ていくと、この記述について、「双巻大般泥洹経、長阿含の説と略ぼ同じ」とあって、「双巻経」とは、「阿含部」の『大般涅槃経』2巻本を指していることが分かった。
それにしても、上記の通り、釈尊が中々火葬されなかった理由は、摩訶迦葉尊者を待つためだったというのは、伝記に共通した表現だったのだが、理由は釈尊が、執念深く思いを留めたためでは無くて、「時に阿那律、末羅に語りて言わく、止めよ止めよ諸賢、汝の能くする所に非ず、火滅して燃えず。是れ諸もろの天意なり」(『釈迦譜』巻4)とあって、天人達が迦葉尊者の到着を望んだためとされている。
篤胤は、『釈迦譜』を読んでいるのだから、当然にこの経緯を知っているはずなのに、敢えて先の通りフェイクを混ぜて評したところに、強い悪意が感じられるのである。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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