江戸時代末期に、名古屋の黄泉無著禅師が編んだ『永平小清規翼』には、「亡僧津送」の項目が見える。現代の行持名としては「亡僧喪儀法」となる。その内容に、以下の一節が見える。
為に亡僧を浴して、浄髮・浄爪す。寒暑を問わず、布衫・布直綴・布五条にし、血脈を帯びる。
『曹洞宗全書』「清規」巻・436頁
これを見ると、亡僧は『血脈』を帯びて棺(龕)に入ったようである。拙僧的に気になったのは、この『血脈』の意義である。そもそも、両祖の時代には、出家得度時に『血脈』を授けていた形跡が無いので、亡僧の段階で持っているというのは、この時代、出家得度時に授けるようになったということが大きい。無論、当時は師僧替えの際の授戒もあったとはいうが、それは受けない場合もあったから、想定される状況とはならない。
それにしても、何故『血脈』を持たせたのだろうか?それは、当時の『血脈』信仰の中に、現当二世に渉る救済が想定されていたためである。例えば、以下の説示などはどうだろうか。
血脈とは、釈迦牟尼仏の頂上に一円相を写し、此れ一戒光明、十方に東西無く、三世に始終無く、円満無際の理を表す。
『大戒要文』、『曹全』「禅戒」巻・589頁
このようにあって、『血脈』の功徳とは、まさに菩薩戒を受けた光明が、三世十方に亘ることをいう。更に、この菩薩戒の功徳とは、「今身より仏身に至るまで」続くことを願い、生まれ変わり死に変わりしてもまた、菩薩として修行することを願うものだから、結果として、葬儀の際に身に着けることは、この教義的には理に契っている行為だといえる。
ところで、古来の亡僧喪儀法では、『血脈』を入れることはなかったように思う。先日の記事では12世紀初めに成立した『禅苑清規』を採り上げたが、もう少し後の時代で、以下の文脈などはどうだろうか。
燒湯にて亡を浴させ、浄髮して浴衣にて拭き亡人の俵浴を酌量せらる。手巾と浄髮の人、是れ古規なり、提督して旧単衣・旧直綴を著け、旧掛絡・旧襪、これを装う。香合を袖にし、項に数珠・行巻袋を懸けて、而も棺に入る。
『諸回向清規』巻中「亡僧津送」項
これは、16世紀中頃の臨済宗で用いられていた様々な行法や回向文などを集成した文献であるが、日本で亡僧を葬るに当たって、どのような姿をさせていたかがよく分かるものである。まずは身なりを綺麗にし、そして僧侶としての格好をさせる。その際、身に着ける衣服は、わざわざ「旧」とあるのだから、使い古されたものを用いた。これは、比較的新しい衣服は、その後僧侶たちの間で競売に掛けられたためであろう(唱衣念誦)。また、本書では「数珠」をクビに懸けていたというのは、非常に興味深い。
結局、この数珠が、後の曹洞宗では『血脈』になった可能性が高いためである。数珠に何の期待を掛けていたのか?それこそ、来世での更なる修行を念願したものだったのか?呪術的な願いが込められていたのか?今の段階で拙僧自身は結論を得ていないけれども、修行未了で亡くなった者へ、周囲の者がどのような想いで送ったのか、それを見たような気がするのである。